九州ほぼ一周ツーリングレポート

2024年10月9日(水)〜14日(月) 5泊6日
今回の目的:
 ・前回の九州ツーからだいぶ経っており、ゆっくりと時間をかけ、以前行った所やまだ行ってないところを尋ねる。
 ・震電や零戦のある大刀洗平和記念館と知覧特攻平和会館を訪れ、飛行機の写真を撮る。
 ・九州ならではのグルメと絶景を堪能する。
 ・神崎鼻と佐多岬を訪れ本土最西端と最南端の到達証明書をもらう。

 行程
@10月9日(水) 【福山→佐賀】 
A10月10日(木) 【佐賀→呼子→長崎→島原】
B10月11日(金) 【島原→熊本→鹿児島】
C10月12日(土) 【鹿児島→桜島→佐多岬→錦江町】
D10月13日(日) 【錦江町→通潤橋→高千穂峡→小国】
E10月14日(月・祝) 【小国→由布院→大刀洗→福山】

<1日目> 10月9日(水)
 九州の週間天気予報を見ると、この日から1週間は晴れが続くとのことなので出発日にした。快晴の中、9時45分に家を出る。バイクの装備は昨年北海道に行ったときとほぼ同じ。追加したのはハリケーンケーンランプ(ランタン)である。少しかさばるが、ろうそくのランタンより味があり、「ひろしのボッチキャンプ」という番組でよく登場していい味を出していたので、是非持って行きたいと思っていたのだ。  
       
  

 福山東のICから山陽自動車に乗り、ひたすら西を目指す。当初、福岡の中心部(天神)に泊まり、中州などで飲む予定だったが、一日目に大刀洗平和記念館によってから佐賀で宿泊することにした。距離はかなりあるが、2日目からの行程が楽になると判断したため。
 しかし、高速を使うといっても距離にして440km、時間は約5時間ということで大刀洗に着くのが16過ぎとなることが分かったため、寄るのは断念し、最終日に回すことした。
 高速で長時間走るのは、昨年北海道に行った時以来久しぶりで、無理をせず、こまめに休憩をとることにした。尻の痛さに耐えながら、佐賀大和のICを下り、佐賀駅南にある「ライダーハウスさが」をナビで見ながら探す。ナビでは到着したのにそれらしき建物や看板がない。おかしいと思ってUターンするとすぐそばに大型バイクが3台ほど並んでいる建物があった。早く気づくべきだった。そこは印刷所みたいなところで事務所の入り口のドアに小さく「ライダーハウスさが」と書いてあった。

   

 人の良さそうな小柄なオーナーが出てきて、今日の客は私一人だそうだ。2階の部屋を案内してもらう。部屋は2段ベッドがあり、談話室はキッチンもついていて、炊事もできるようだ。談話室にはスタッフらしき男性が1人いてスマホでずっと九州弁で電話をしていた。


 町中なのでコンビニや飲み屋も近くにあり、周辺地図をもらう。シャワーはあるが、風呂、できれば温泉に入りたいと言うと、ここからは少し距離があるそうなので、シャワーで済ますことにする。
 シャワーを浴びた後、もらった地図で飲屋街を探す。あまり遠くまで歩きたくなかったので、佐賀駅と宿の中間にある居酒屋の「かちがらす」という店に決め、6,7分ほど歩いた。地図には居酒屋と書いてあったが焼き鳥がメインの店のようだった。入ったのが18時頃でそんなに混雑はしていなかったが、次第に団体客が次々と入り、賑やかになってきた。焼き鳥はとても美味しく、ゆっくり飲みたかったが、あまりに騒々しいので早々に引き上げた。生ビールと串7本食べて2千円弱だった。
 飲み足りなかったので、コンビニで酒とつまみを買い、宿に戻って談話室で飲むことにした。談話室には先ほどの男性が1人いて台所で料理をしていた。
 部屋に戻って着替え、一緒に話しながら飲もうと談話室に行くと、彼はいなくて、テーブルの上には大きな丼に食べかけの卵かけ納豆ご飯が置いてあった。そのうち帰ってくるだろうと1人でTVを見ながら飲んでいたが一向に帰ってこず、飲み終わった私は部屋に戻った。洗面して寝る用意をしていたら彼は戻った様子だったが、結局一言も喋らないままだった。

<2日目> 10月10日(木)
 疲れていたせいでぐっすり眠れた、といいたいところだったが、ベッドに横になるとどこから聞こえてくるのか、かすかにゴーというような低周波音が気になり、なかなか寝付けなかった。そこで旅の前に薬局で買った耳栓を出して着けると、ほとんど聞こえず何とか寝付けた。この耳栓はアメリカ製の優れもので、これまで買った百均で売ってるような安物の耳栓とは比べ物にならないくらい遮音率が高い。(と言っても500円くらいのものだが・・・)
 6時半過ぎに起床し、昨日オーナーに聞いたすぐ近くの「どんどんどんの森」へカメラを持って出かけた。行って驚いた。町の中心部なのに、もの凄い広さ、樹木の多さ。芝生が朝日に照らされてとても美しい景色に感動した。犬を連れて散歩する人やベンチでくつろぐ老人などが見られ、そのそばを通勤する人たちが足早に通り過ぎていく。元は佐賀紡績の工場の跡地だそうだ。この名前の由来は太鼓のドンドンという音や、どんどん進むという意味が込められているらしい。ではなぜ「どんどん」ではなく「どんどんどん」なのかというと、以前「秘密の県民SHOW」で紹介されていたが、佐賀弁の特徴で「ドキドキ」を「ドキドキドキ」というようにオノマトペを3回繰り返すのだそうだ。
 ゆっくりと時間をかけて公園を一周し、帰る途中のコンビニで朝食のサンドイッチと牛乳を買って宿に戻った。

   


 TVの朝ドラ「おむすび」を見ながら食べていると、ここで寝泊まりしているらしい昨日のスタッフが起きてきて挨拶をする。よく見ると40代位の長身で俳優のようないい男である。てっきり下に置いてあった大型バイクのどれかに格好良く乗っているのだろうと思い、「どんなバイクに乗っておられるんですか?」と話しかけると、彼は「僕はバイクには乗らんです。」と意外な答え。「ライダーハウスなのでお客さんからよく、意外だと言われるんですが、バイクって恐いから。」 なんのこっちゃ!
 出発の用意をし、先ずは日本3大松原の一つである「虹の松原」を目指す。ナビで到着した場所はなぜか海岸から遠く離れたところで、海岸への入り口を探して広大な松林の中の道を走るが、行けども行けども入り口がない。かなり走ってようやく見つけて海岸へ出たが普通の浜辺だった。実は後で知ったのだが、展望台が近くにあってそこから眺める景色が素晴らしいのだそうだ。

   

 その後オーナーお勧め、呼子のイカ料理店「玄海」に向かった。3〜40年前に職員旅行で呼子に行き、昼食でイカの料理を食べてとても美味しかったのを覚えている。11時過ぎに店に着き、少し早いかなと思ったが、すでに客が入っている。ところが今日は名物のイカの活け造りができないということで引き返す客が何人かいた。私はイカを始め刺身は苦手で活け造りよりは天ぷらを食べたかったので、関係ない。店の中の水槽を見ると不漁なのだろう、イカは全くいなかった。
 平日限定のランチプレートというのがあり、イカ刺しや天ぷら、イカシュウマイなどいろんな種類が少しずつ盛り合わせてあるのでそれを注文した。イカの天ぷらの量が少なかったら別に単品で注文しようかと思ったが、十分だった。昔行った店と同じく海に面していて、海の景色を見ながら食べたが、とても美味しくて満足して店を出た。すると観光バスが次々とやってきた。早めに来て良かった。

   

 この日は長崎県の平戸の近くにある神崎鼻という岬に行って、その後南島原市の白浜海岸というところでキャンプ泊をする予定だった。神崎鼻は本土最西端で、翌日行く予定の鹿児島県大隅半島の本土最南端、佐多岬に行くとこれまでに行った宗谷岬、納沙布岬と並んで本土最四端が完成する。(証明書もくれる)しかし、距離的・時間的に明るいうちにキャンプ場に到着するためには岬まで行くと厳しいので、泣く泣く諦めた。まあ次回の楽しみに取っておこう。
 さて、呼子から右手に美しい海をみながら長崎へ向かう。途中から長崎自動車道に乗り、どこかのサービスエリアで休憩していると駐輪場で隣にレーサータイプのバイクに乗った若者が止まった。こういうタイプの若者には経験上あまり話しかけないのだが、顔がまん丸で人なつっこそうな感じだったのでつい声をかけた。
 ナンバーを見ると見たことのないもので、「どこから来たんですか?」と聞くと、片言の日本語で「韓国カラ来マシタ。日本語少シシカ話セマセン。」「凄いですね。これからどちらへ?」「長崎、鹿児島、阿蘇デス。」「私も一緒です。」それからバイクの話になり、彼はホンダのCBRでタイヤが凄く太いのが特徴だった。日本語がよく通じないときは片言の英語で話した。彼が私のバイクを見て「マスターピース?」と聞くので、よく意味が分からなかったが、多分昔の名車なのかと聞いたのだろうと思い「ノー、イッツ・クラシカルスタイル、エンジン・イズ・バーチカル・ツイン」と言うと「バーティカル・トゥイン・デスカ」と発音を言い直された。こんな交流があるのもバイクのツーリングならではだろう。
 彼と別れ、島原半島を目指す。諫早ICで下り、海沿いの道をとことこと走り、島原半島の一番南に位置する白浜海水浴場キャンプ場に16時頃に到着した。ここは無料のキャンプ場で、ネットの口コミを見るときれいな炊事場や水洗トイレもあり、とても評判がよかった。しかしナビが案内したのは「白浜ビーチホテル」の駐車場で、入り口にはホテル利用者以外は立ち入り禁止と大きく書いてある。困って付近をうろうろと歩いていると、ホテルの玄関に従業員らしき人がいる。「キャンプ場にはどうやって行けばいいんですか?」と聞くと、「ちょっと分かりにくいところなので、案内するから後からついて来なさい。」と言って、親切にも車で誘導してくれた。
 キャンプ場に着くと、2組テントが張ってあった。松林の中の空いたところに自由にテントを張れるみたいで、少し離れた場所を今日のサイトに決めた。
 バイク1台がやっと通れる道があったので、その場所まで荷物を下ろしに上がって行った。下の土が砂混じりで柔らかそうだったので、一旦下りて、持参しているサイドスタンドをかます木の板を出そうとしたその瞬間、ドスンという鈍い音とともにバイクが倒れた。北海道ツーでも一度もコケなかったのに。あー、やってもうた(泣)
 先ずは荷物を全部下ろし、バイクを持ち上げようとしたが全く起こせない。今までたちゴケしてもなんとか起こせたのに、なぜだろうと思ってよく見ると、サイドスタンドが完全に埋まっているではないか。それほど土が軟らかかったのだ。棒きれを探し、30cmほど掘ってスタンドを上げて持ち上げると起こすことができた。バイクにダメージはほとんど無かったが、クラッチレバーが少し下向きに曲がっていた。
 設営をすませ、バイクを下の駐車場に移動した。駐車場は車4台分くらいしかなく、海水浴のシーズンは大変だろうと思った。まあ、無料だからしかたないか。口コミのとおり、トイレも和式だが水洗で炊事場もきれいだった。走行距離が40,000kmになったので、止まって記念撮影をした。
 その後、来るときにチェックしておいたコンビニへ行き、ビールとつまみを仕入れた。焚き火をするのでウイスキー(ホワイトホース)も買った。
 サイトに戻り酒宴の始まりである。松林越しに見える浜辺が夕暮れとともにきれいに映え、波音もかすかに聞こえ、最高に贅沢なひとときである。
 暗くなってきたので持参したハリケーンランプに火をつけようとしたが、よく見えないまま、そして酔ったせいもあり、芯を出そうとつまみを左右に回していたら、芯を下に落としてしまった。こういうところが不注意である。仕方ないので電池のランタンを出した。
 焚き火を始めるが、松林なので枝はそこら中に落ちていて、さらに炊事場の軒下には大量の廃材もおいてあり焚き火をするにはもってこいの場所である。
 いつものように焚き火を見ながらウイスキーを飲んでいると、気持ちよく酔いが回り、気がつくとボトルが半分空いていた。暑くも寒くもなく、快適な一夜を過ごした。

   

   

  <3日目> 10月11日(金)
 少し二日酔い気味だが、爽やかな目覚め。イスに座ってぼんやりしていると、地元の老人が歩いてきた。どうやら散歩のコースらしい。「夕べは夕焼けが見えましたか?」と聞かれたので、「はい、とてもきれいでした。」と答えた。
 キャンプ場の道を挟んだ向かいには、高級そうな住宅があり、なにやらセレブな感じの人が暮らしている雰囲気がある。この老人もそんな感じだった。
 朝食を済ませた後、ハリケーンランプの落ちた芯を取り出して直す作業をした。ランタンの下のタンク?の給油口から芯が取り出せすればすぐに直るのだが、給油口が狭くこれがなかなか取り出せない。ピンセットがあれば簡単なのだが、ない。アーミーナイフに付いている小さいピンセットではつまめないので、細い木の棒を箸のように、二本使ってつまもうとするが、後一歩のところで落ちてしまう。そこでアーミーナイフに螺旋状のワインの栓抜きが付いていたことに気づき、それに引っかけてなんとか取り出すことができた。そして芯を上から入れながらつまみを回して、ようやく直すことができた。つまみは右に回すと芯が出て、左に回すと芯が引っ込む。良く頭に入れておこう。この作業に30分以上費やした。
 朝の穏やかな海を見ながらゆっくりと優雅に朝食。北海道には設備の整った無料のキャンプ場は沢山あるが、北海道以外でこんな快適なキャンプ場は珍しい。まさに穴場である。昨年行った広島県北部の史上最悪のキャンプ場とは月とすっぽん、雲泥の差である。
 ゆっくり片づけをしていていたら、出発が10時近くになってしまった。今日の行程はフェリーで熊本に渡り、その後天草に行き、鹿児島を経由して知覧特攻平和記念館に行き、鹿児島に引き返してビジネスホテルに泊まるという強行軍である。
 まずフェリーの時間を調べようと有明フェリーに電話した。午前中は10:30・11:10・12:00の便があり、10:30はおそらく無理なので11:10を目指す。この時点で天草は絶対無理だと分かったので、割愛する。
 白浜からフェリー乗り場の多比良までは距離にして1時間くらいだが、急げばなんとかなりそうだ。しかし、海沿いの片側1車線、追い越し禁止が続く道は地元の遅い車が多く、なかなか順調に進まない。左手に雲仙普賢岳が間近にそびえ、いい場所で止まって写真を撮ったりしていると、11:10にも間に合わないことが分かった。


 普賢岳麓にオープンしたての「ひまわり」という道の駅があったので入る。ところが駐車場の案内がきちんとしていなくて、来た車がみなどこへ行けばよいのか分からず、右往左往している。私も一旦外へ出てまた入ったりしてだいぶ時間をロスした。もちろん駐輪場もなかった。ちゃんとしてほしいものだ。店でつまみの海産物を買い、出発。それでも12:00には余裕をもって着くだろう思ったが、なんと手前の島原市中心街で大渋滞。赤信号の度にすり抜けて前に出ることを繰り返し、港に着いたのはギリギリ5分前だった。
 この有明フェリー、長崎と熊本を最短45分で結ぶということでとても利用客が多いらしく、車やトラックが何十台も乗った後、最後にバイクが乗船した。

 

 熊本側の長州港に着き、熊本市を目指すが、クラッチレバーが曲がって少し下向きになっているので握りづらい。すると港を出たすぐの国道沿いにバイク屋があったので、これ幸いと立ち寄った。店にはおばあさんがいて、「クラッチレバーが曲がったので直して欲しいんですが。」と言うと、「店の人が今、出ていておらんのよ。ごめんなさいね。」そうですか、と言って出て行こうとしたとき、ふと昔見た情景を思い出し、「鉄パイプがあれば直せるかもしれないので、貸していただけませんか?」と聞くと、「あるにはあるけど、錆びていて汚いよ。」そう、鉄パイプをレバーに差し込み、梃子の原理で曲げることを思い出したのだ。
 レバーが傷つかないようタオルを巻いて鉄パイプを差し込み、少しずつ曲げていった。おばあさんは親切にも反対側のハンドルを持って支えてくれた。元のように水平になったので、礼を言って店をでた。おそらく店の主人も同じ方法で直したと思う。
 かなり時間が押しているので、知覧は明日に回すことにして、先ずは鹿児島を目指す。菊水ICから九州自動車道に入り、どこか忘れたがSAで昼食を取ることにした。せっかく熊本を通るので熊本ラーメンを食べた。美味しかったが、以前食べた熊本ラーメンはもっとガツンとインパクトのある味だったような気がする。卵も茹で卵ではなく、生卵だったような・・・。

 ナビを観光案内所がある鹿児島中央駅にセットし、ひたすら高速を走り、17時頃到着。駅2階の案内所でビジネスホテルを探していると言うと、予想したとおり昨年の帯広駅と同じくA4サイズの地図を渡され自分で電話して探せという。1階に下りてベンチに座って探すことにする。しっかり飲みたいので、鹿児島一の繁華街である天文館を中心にスマホで検索した。すると地図には無かったが宿泊料金を比較するサイトで、「KOKO HOTEL 鹿児島天文館」という割と洒落たホテルが素泊まり5,200円だったので迷わずそこに決めた。しかも飲屋街の真っ只中である。
 ホテルに着くと玄関前の狭いスペースにバイクを置き、フロントに行く。受付を済ませ、バイクを玄関前に置いてもよいかと聞くと、付近の駐輪場の地図を渡され、ここに止めてくれと言う。しかし、近くにあるのは原付用で大型バイク用は歩いて15分くらいのところにあるという。仕方なく荷物を部屋に置いてからバイクを移動することにした。
 このホテルは出来てまだ1年ということでとてもきれいだった。部屋も広くはないがアメニティーも充実していて快適である。近くにはコンビニもあるし、いうことはない。
 着替えて外に出て、付近を探索した。とにかく飲み屋の数が半端ではない。近くに自転車と原付が止められる市営の駐輪場があり、管理人らしき人が立っていたので聞いてみた。「この辺で大型バイクが止められる駐輪場はありませんか?」ホテルが示した駐輪場を教えるかと思ったら、なんと「このすぐ近くにありますよ。ここを200mくらい行って、突き当りを左です。」なんだ、ホテルのフロントめ。しかも「空いているかどうか調べましょうか? 今3台空いてますね。」同じ系列なのでPCで分かるのだ。
 すぐにそこへバイクを持って行った。スペースは狭かったがちゃんと止められて、タイヤをロックした。翌朝、清算したらロックが外れる仕組みである。料金は一晩止めてなんと150円。屋根付きでこれは安い。よく見るとこうした駐輪場はあちこちにあり、そのため路上に放置してある自転車やバイクはほとんど見当たらなかった。他の都市も見習ってほしい。
 ホテルに戻り、シャワーを浴びていざ出陣。とにかく飲み屋だらけで、居酒屋はもちろん、中華、イタリアン、フレンチ、インド料理、なんでもござれ。ぐるぐると迷い歩いた挙げ句、「ネオ大衆酒場ミチシルベ」という店に入った。2時間いろんな種類の酒が飲み放題で1,300円という安さにつられた。
 中に入ると座敷席がほとんどで、カウンターは少ししかない。客も店員も若い人ばかりで、かなり騒々しい。こりゃ場違いなところに足を踏み入れたな、と思った。席に案内されると、店員がメニューを持って来てシステムの説明をする。今時これが普通なのかもしれないが、注文は全てスマホでせよと言う。なかば後悔しながら、まずはビールと料理を何品か注文した。出てきた料理は量が少ない割に高い。そうか、これでバランスを取っているんだ。
 ふと隣の席を見ると、50代くらいの外国人が焼酎を何杯も早いペースで飲んでいる。相当飲んでいるらしく、赤ら顔で少しやばい感じがする。1人で飲んでいても面白くないので、話しかけようかどうしようかとさんざん迷った挙げ句、思い切って「エクスキューズ・ミー? 日本語話せますか?」と聞くと、ビックリした様子で振り返り、「おー、大丈夫です。」と流ちょうな日本語が返ってきた。
 乾杯をして、お互い自己紹介をする。彼はマイクといい、アメリカからやって来て英語の教師をしていたが、今は無職だという。20年前から日本に住み、東京に長いこといたが最近、鹿児島に来たとのこと。自分で「私の人生はとても悲しいです。」と言い、離婚したことや、事故で肩の手術をし仕事できなくなり、お金が無くなったこと、2人いた彼女にも同時に振られ(2人もいたんかい!)、こうして毎晩焼酎を飲んでいることなど次から次へと、その割には元気そうで結構明るく話している。「あなたはアメリカに行ったことがありますか?」と聞くので「ボストンとワシントンに行ったことがあります。」と答えると、「おー、私はボストンがあるマサチューセッツ州のスプリングフィールドの出身です。私のママはあなたと同じ教員をしていました。偶然ですね。」と嬉しそうに言った。
 彼は飲み物を注文するとき、店員に直接言っていた。そうか、スマホを持っていないと言えば口頭で注文できたのだ。今度からその手で行こう。スマホの小さい画面から、凄い数の飲み物や料理の中から探して注文するのは面倒臭くてならない。
 彼は焼酎が大好きだそうで、私が「黒伊佐錦」を飲んでると、「これ、一番美味しい。今日はこればかり飲んでます。」見ると、料理はほとんど食べてないみたいなので少し心配になった。私はせっかく鹿児島に来たのだから、普段は飲まない芋焼酎をいろいろ飲んだが、奄美の黒糖焼酎「れんと」が一番美味しく、帰ってからまた飲もうと思った。
    

 楽しく飲んで話をしていたが、マイクのほうが先に時間となったので、握手をして別れた。思い切って話しかけてよかった。その後、店を出てもう一軒、行こうかどうか迷ったが、かなり出来上がっているのと、明日は早めに出発するので、ここは大人しく宿に帰って寝た。

 <4日目> 10月12日(土) 
 いつものように早朝の散策。あれだけ賑わっていた街も嘘のように静まりかえっている。歩いていると、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に滞在して、キリスト教を布教したことを記念したザビエル公園があり、その向かいにはザビエル教会がある。そういえば昨日キャンプした白浜の松林の中にも殉教者の碑がひっそりとあり、やはり歴史を感じる。

   

今日の予定は薩摩半島を南下し、この旅のメインの一つである、知覧特攻平和記念館を訪れる。そして鹿児島に戻り、フェリーで桜島に渡り大隅半島の本土最南端の佐多岬を目指す。
 ホテルを出て市内を抜け、指宿スカイラインに入ると結構なワインディングロードで、左に桜島を見ながら軽快に走った。桜島を望む展望台があったので、写真を撮っていると、車で来ていた観光客が、「この先に、走っていると道路の凸凹でメロディーが聞こえる場所があるよ。」と言っている。メロディー・ラインといって長渕剛の「乾杯」のサビの部分が聞こえるらしい。 
 展望台を出て期待しながらしばらく走っていると、道路にト音記号が書いてあったので注意して耳を澄ませたが、何も聞こえない。どうやら車の中でしか聞こえないらしくガッカリ!  帰ってからネットで調べると、結構はっきりとメロディーが聞こえていた。
 その後スカイラインを下りると、知覧武家屋敷跡という観光客で賑わうところがあったがスルーして、11時過ぎに特攻平和記念館に到着した。土曜日ということで、もの凄い人出だ。館内に入っても人で溢れかえり、落ち着いて見る余裕がない。しかし特攻で亡くなった二十歳前後の多くの若者の顔写真や、家族、恋人宛に残された手紙や遺書を見ると、彼らが家族や、国を守るために純粋に死を選んだ心情が伝わり、なんともやるせない気持ちになった。
 私が是非見たかった展示が零戦の実物で、鹿児島沖に水没していた機体を引き上げた物だ。あえて当時のままの姿を残した機体は生々しく、凄い迫力に満ちていた。館内はほとんどが撮影禁止だったが、この零戦と疾風という戦闘機は撮影可能で、沢山写真を撮った。

   

 その後、鹿児島に引き返し、桜島に渡るフェリー乗り場に向かうが、ガソリンが少なくなり、ずっとFUELのランプがついている。探したが意外と町中にスタンドがなく、桜島に渡ったら多分あるだろうとフェリーに乗り込んだ。
 船は外国人(おそらく中国・韓国系)が多く、前方に見える桜島をバックにはしゃぎながら写真を撮っている。この日は噴煙もなく、美しく雄大な山が見えた。
15分ほどで桜島港に着き、溶岩道路と呼ばれる道を右回りに走る。ところどころに溶岩がむき出しになっていて、シェルターもある。

 

 しばらくして、ガソリンスタンドを見つけホッとして入った。トリップメーターは318kmになっていた。W800はタンクの容量が12Lなのだが、なんと12,3L入り、ほとんどカラの状態だった。ああ、危なかった。
 垂水市に出て、一路佐多岬を目指す。ナビに従って海沿いの道を走っていたが、突然途中から山に入る道に誘導するではないか。遠回りになるけど、こちらが近道なのだろうとそのまま行くと、前を走っていたバイクが止まって引き返した。いやな予感がしたが迷った挙句、ナビを信じて山道を選んだのが間違いだった。道はどんどん細くなり曲がりくねって、どう考えても大回りになる。途中で引き返し、結局1時間近くタイムをロスしてしまった。やはり、ナビより地図を信じるべきだった。(と、これまで何度後悔したことか!)
 15時半ごろ佐多岬の駐車場に着き、早速売店で「本土最南端到達証明書」をもらった。残るは、今回行けなかった、最西端の長崎県神崎鼻のみである。この最〇端というのはいろんなパターンがあり日本最北端は択捉(えとろふ)島、最南端は沖ノ鳥島、最東端は南鳥島、最西端は与那国島など、それらを目指して旅する人もいるそうだ。
 この辺りはさすが南国で、ハイビスカスやソテツ、ビロウ(ビンロウ)などの植物が生い茂っている。ここからの景色も素晴らしいのだが、この先に歩いて15分くらいのところにもっとよく見える展望台があるのだが、時間がないので行かなかった。今回の旅は特にそうだったが、無理な計画を立てて、時間に余裕がなくなり行くことを諦めた場所が多く、反省している。たった6日間で九州を一周しようという計画がそもそも無理だった。

   

 さて、だんだんと日が落ちてきて、今夜の宿泊先を考えなくてはならない。当初の予定では都井岬へ行って、その後日南市か宮崎市で泊まるはずだったが、完全に無理で、鹿児島市に戻るとしても夜になる。ここは無理をせず、来るときに通った海岸沿いの神川キャンプ場に決めた。マップルの紹介文に「錦江湾に沈む夕日に感動!」と書いてあったからだ。ネットで調べると、7〜10月は有料でフリーサイトが1,500円、近くにコンビニや温泉もあり、とてもいいところみたいだ。ただ難点は道路に面しているので、少しうるさいらしい。早速、予約の電話を入れるとOKだった。
 17時前にキャンプ場に着いた。海岸と道路に挟まれた、細長い芝生におおわれたきれいなキャンプ場だ。椰子の木がところどころに生えていて、南国ムードも満点だ。客はこの時期としてはとても多く、家族連れや若者のグループが大勢楽しんでいた。
 入り口から一番奥にある管理棟に行き、申し込みをして説明を受ける。駐車場にバイクを止めたが、サイト内は進入禁止で、荷物は貸し出しのカートを使って運ぶこと。ゴミは全て持ち帰ること。21時以降は静かにすること。近くにある温泉はボイラーが壊れていてやっていないこと。(これにはガッカリ)など。
 場所を探すが、海に面して景色がよく、炊事場にも近いところにした。ベンチがあったのでそれをテーブル代わりにする。隣は自転車の若者一人なので騒ぐことはないだろうというのも決め手。
 テントを設営し、買い出しから戻ると絶景の夕日が目の前に広がる。遙か左に美しい富士山のような開聞岳、右手奥には今日通った桜島が見える。一昨日の白浜キャンプ場もよかったけれど、こちらの方が遙かに素晴らしい。デイキャンプをしていた客が帰ったのか少し静かになった。
 日が暮れると直したハリケーンランプの出番だ。焚き火も可能なのだが、この景色にそぐわないのでしなかった。遠く離れた対岸の灯りや、通り過ぎる船舶の灯り、そして優しいランプの炎を眺めながら飲む酒は、しみじみと美味しいものだった。

   

<5日目> 10月13日(日)
 今日も強行軍となりそうなので、なるべく早く出発しようと7時半には撤収を終え、荷物を駐車場に運ぼうとカートを借りに管理棟へ行った。しかしカートはない。管理人は8時にならないと来ないと言っていた。おそらく誰かが使っているのだろうと、キャンプ場を歩いて探したが、誰も使っていない。8時になって管理人が来たので、「カートがないんですが・・」と言うと、なんと管理棟の中からカートを引っ張り出してきた。ちゃんと外に出しておいてくれよ!
 今日の予定は都城に出て、宮崎自動車道から九州自動車道を通り熊本に行き、通潤橋と高千穂峡を見て阿蘇に宿泊するという欲張りなものだ。
 ひたすら尻の痛さに耐えながら高速を走り、13時前に通潤橋に着いた。この橋はガイドブックで写真を見て、今回是非行きたいと思っていたスポットである。江戸時代に農業用水を通すために石で作られた巨大な橋だ。
 毎日13時から30分間、橋の中央から放水されるので、それに間に合うようにやってきたが、休日なので凄い人出である。駐車場が一杯だったので、道路脇にバイクを止めて歩いて人をかき分け橋を見に行った。思ったより大きくて驚いた。橋の上には入場券を買った人が大勢上がっていて、下を見下ろしているが、落ちはしないかと見ていてハラハラした。やがて13時になり、勢いよく放水が始まると、今まで見たことのない感動の景色が広がった。よく江戸時代にこのような建造物を作ったものだ。国の重要文化財や国宝に指定されているだけはある!

   

 次に有名な高千穂峡に行くと、これまた凄い人出で、連休中に観光地に行くものではないと痛感した。景色は素晴らしく、人が少ないときにゆっくり遊歩道を散策したり、ボートに乗りたいと思った。



写真を何枚か撮り、ベンチに座って今日の宿を探す。阿蘇にはキャンプ場は沢山あるのだが、おそらくこの時期、山の中は寒いと思い敬遠、ゲストハウスを探すことにした。するとゲストハウス「くじゅうの座」という宿がヒットし、すぐにネットで予約。ドミトリー(相部屋)で素泊まり3,300円。とにかく泊まれればいいやと決めた。しかしその場所は阿蘇よりかなり北の小国という所にある。                 当初の予定では景色のよい大観峰や草千里、パノラマライン、ミルクロード、やまなみハイウエイなどを走る予定で、宿に着く間にどこかを通るだろうと思いきや、さすがヤフーナビ君はあちこちと細く曲がりくねった名もない山道を案内してくれ、日が暮れる頃、やっと宿に到着した。別荘が建ち並ぶ中、「くじゅうの座」という看板があったので、入り口から急な坂道の石段を上がっていくと、ログハウス風の大きな建物があった。

 中に入って受付をすると、オーナーの男性が「あれ、Mさん、予約は明日になってますよ。」 しまった!日にちをよく見ていなかった。しかし、「でもベッドが1つだけ空いてるので大丈夫です。」あー、よかった。最近このようなうっかりミスが多い。オーナーが近辺の地図を渡してくれ、「もちろん温泉は行かれるでしょう?」と言われるので、地図を見ると有名な黒川温泉がバイクで10分ほどの所にあるではないか。今回の旅で初めての温泉である。私より少し前に着いた30代くらいの男性は温泉の露天風呂巡りをするために来たそうだ。早速荷物を部屋に置き、入浴セットを持って地図を頼りに、細い山道を下って温泉に向かった。

 駐車場にバイクを止め、近くにあった温泉旅館に入ると、旅館の客が入る風呂とは別に外湯専用の広い露天風呂があり、ゆっくり温まって疲れを取り、「あ〜、極楽、極楽!」、やはり温泉は最高!。オーナーに聞いた、その近くにある酒屋で、地酒と総菜やつまみを買って宿に戻った。

 道は真っ暗で分岐が多く、迷いそうなのでここはナビに頼った。宿の談話室では男性が3,4人オーナーを囲んで宴会をしていた。このゲストハウスは30年前にできた別荘を10年ほど前にオーナーが買い取って改築したそうだ。彼は若い頃、日本中やアジアの国を旅してきたそうで、客の福岡から来た21歳の若者に、「若いうちに是非海外を旅した方がいいよ。」と勧めていた。

 そのうち、温泉巡りをしてきた男性も加わった。彼は東京から熊本に飛行機で来てレンタルバイクでこれから九州を旅をするようだ。そういえば止めてあった250ccのNinjaのナンバーを見ると「わ」だった。これから北海道でツーリングをするときはレンタルもありかなあと思った。でも、やっぱり乗り慣れた自分のバイクで走りたいし・・・。

 昨年、一昨年と1人で北海道ツーリングに行った話をしていたら、年を聞かれたので72歳だというと皆びっくりしていた。(ちょっぴり嬉しい!)

 もう1人は30代くらいのスキンヘッドの男性で、話が私より流ちょうなので全く気が付かなかったが、中国の人で観光バスの運転手をしているそうだ。黒川温泉に客を乗せ明日の早朝、出発するらしい。アルコールチェックが厳しいので、缶ビールを一本飲んだだけで早々に引き上げた。               53歳で独身のオーナーはゲストハウスだけではやっていけないので、昼間はガソリンスタンドで働いているそうだ。明日は8時に出るというので、盛り上がってはいたが、それを聞いて11時頃にお開きになった。2段ベッドの上で寝ている運転手さんを起こさないよう、そっと下の段にもぐり込み、すぐに眠りについた。

  

<6日目> 10月14日(月・祝日)
 6時半起床。恒例の朝の散歩に出かける。昨日は夕暮れ時に来たのでよく分からなかったが、沢山の別荘が急斜面沿いに建っている。ハウスに戻るとバスの運転手さんがアルコールチェックの結果を会社に送信していた。当然のことだが、人の命を預かる仕事って大変なんだ。
 簡単な朝食を取って、オーナーと一緒に宿を出た。最終日は、まず近くの九重夢大吊橋(ここのえゆめおおつりばし)に行って、以前訪れた由布院のバイク博物館と、初日に行くはずだった大刀洗平和記念館に行く予定である。
 当初の計画ではその後、国東半島の竹田津港から14:20発のスオウナダフェリーを使って徳山港に渡り、そこから高速で帰るというものだったが、オーナーから距離的・時間的に無理だと言われ、大刀洗から一気に高速で帰ることにした。                               
 日本一といわれる大吊り橋に着くと、朝9時前だというのに観光バスが次々とやってきて、そのほとんどが中国系の客だった。日本一といっても、以前は長さ高さともに一位だったが、今は高さだけが一位なのだだそうだ。                                
 雄大な景色を見ながら橋を往復して駐車場に戻ると、バイクの集団が続々とやってきて、私のバイクの隣に同じW800の女性、その隣にトライアンフの男性が止まった。彼が2台のW800を見て、「これがほんまのダブルのWやなあ。」と言って回りを笑わせた。
   

 次に「岩下コレクション」というバイクの博物館に向かう。10年ほど前に来たときは、ここと「九州自動車博物館」、「由布院二輪車博物館」の3カ所を訪れた。由布院の町中の手前にある岩下コレクションに入ると、駐車場にはやはりバイクが数台止まっている。受付に行くと、「以前にも来られましたか?」と聞かれたので、「10年くらい前に来ました。」と言うと、「それから結構展示が増えて、力道山が所有していたキャデラックもありますので、ごゆっくりご覧ください。」とのこと。         
 二階が主に膨大なバイクの展示で、確かに以前来たときより増えているような気がする。世界中のあらゆるバイクや、日本の昔から現在に至るバイク、など写真を撮りまくった。バイク以外にも高倉健のコーナーや、様々な昔の貴重なものが展示してあり、見ていて飽きなかった。
    

   

 次に行きたかったのは、「由布院二輪車博物館」である。そこは一風変わった博物館で、町はずれにある割と小さなプレハブの建物だった。バイクの数はそんなに多くなく、ギターやオルガンなどの楽器や骨董品も展示してあり、特にオーナーが変わった人だった。片隅にドラムセットがあったので、これは何かと聞くと、「これはダイエットのために毎日、叩いているんです。汗をかくのでだいぶやせましたよ。」うーん、やはり変人だ。                                  

 彼に再び会いたくて、ネットで検索したが、今はやっていないのか場所も分からない。記憶を頼りに探そうと由布院の町中に入って行ったが、やはり凄い人出と渋滞で諦めて引き返した。

 そして最後の目的地、「大刀洗平和記念館」を目指す。ここに行こうと思ったきっかけは、昨年上映され,、アカデミー視覚賞を取った「ゴジラ-1.0」を見たことだ。その中で登場した震電という戦闘機がとても変わっていて、プロペラが機体の後部について前翼が小さいエンデ型という構造で、とても印象に残った。

 調べるとB29攻撃用に終戦間際にここで作られ、試作段階で終わったというものだ。映画に詳しい、私の教え子(久留米市在住)にそのことを言うと、「先生、近くにある大刀洗平和記念館に、映画で実際に使われた震電の実物大模型が展示しているので、是非見に来てください。」と言われ、これは見に行かなくてはと思っていたのだ。

 高速を下りたのが12:40頃でお腹が空いていたが、大刀洗に行ってから帰りに食べようと我慢し、13:00前に到着。駐車場はほぼ一杯だったが、中に入ると4日目に行った知覧特攻平和館よりは幾分空いていた。大刀洗と知覧はどちらも飛行基地があったところで、終戦間際には大刀洗からも特攻機が出撃していた。そのため、知覧と同じく特攻隊員の顔写真や遺書が展示してあった。

 さて、お目当ての震電は入って左手奥のコーナーに、零戦と一緒に展示されており、さらに奥にある九七式戦闘機とともに、ここだけは写真撮影が可能だった。震電は実物大模型とはいえまるで本物のような迫力だった。零戦は階段を上っていくとコックピットの中が見えるようになっている。

   

 感動醒めやらぬまま大刀洗平和記念館をあとにし、高速に入る前に食べるところを探す。久しぶりにカレーが食べたかったのでどこかないかとキョロキョロしていると、「本場インド料理ナビナ」という小さな看板を発見! 最近できたばかりのような店に入ると、4,5人の店員全員がインド人。これは期待がもてそうだと嬉しくなった。メニューが多く迷ったが、お勧めのアリナセット\1,480を注文した。とても美味しくて大満足し、帰りへの鋭気を養った。



その後、大分自動車道から九州自動車道、中国自動車道、山陽自動車道とひたすら高速を走り続け、20時頃くたくたになってやっと帰宅した。                               

 6日間の全総走行距離は2,298km、1日の平均走行距離は383km、平均燃費は29.7kmだった。

 今回の最大の反省点は無理な計画を立てたため、各所をゆっくりと見て回れなかったことだ。特に阿蘇山を走るのがメインの一つだったのに、叶わなかったのは残念である。近いうちに再度チャレンジしたい。


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