9月8日(金)〜11日(月) 【別海町→知床→斜里→網走→湧別→弟子屈→川湯温泉】 |
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<9/8(金)7日目> 別海→標津(しべつ)→羅臼(らうす)→知床峠→斜里(しゃり)![]() ![]() 朝5時頃、おびただしい数のカラスの鳴き声で目を覚まされた。やかましいなんてものじゃない。しかもテントのすぐそばに来て何やらあさっている様子。我慢して寝ていると、なぜか7時頃には全くいなくなった。撤収して帰るときに、昨日渡されたアンケート用紙があったのを思い出し「無理かもしれないが、このカラスを何とかしてほしい」と書いて管理棟のポストに入れた。 今日は今回の旅のメインの一つである知床峠を目指す。別海町を出て、野付半島、根室半島を右手に見ながら走り、「知床らうす」の道の駅で休憩。早めの昼食を取ろうとしたが、すごい人出でごった返していたためパス。羅臼を出てくねくねとした急勾配の道を走っていると、結構自転車が頑張って走っていて、びっくりした。 知床峠の展望台に着くと羅臼岳が目の前に聳え、根室海峡も見渡せる絶景のスポット。峠を越えると緩やかな走りやすい道で、海沿いに出たところの「ウトロシリエトク」の道の駅で昼食。「鹿肉カレー」を食べたが、まあ普通のカレーだった。 食後、隣のレストハウスのようなところで知床に関するビデオが見られるので、しばし鑑賞。なかなかよくできていて、行くことのできない世界遺産知床半島の四季の素晴らしい大自然が楽しめた。 ![]() ![]() その後定番のオシンコシンの滝に寄り、今日泊まるクリオネキャンプ場がある斜里町に向かう。なぜここにしたかというと、キャンプ場ガイドに「モバイルテント」なるものがあり、どんなものか一度体験してみようと思ったのである。 着いてみると、広い敷地に普通のキャンプサイトをはじめ、バンガローやゲストハウス、ログハウス、雨の時はバイクが置けるスペースやライブができるスペースがある建物など様々な施設がある。モバイルテントはテントというよりは壁と床は板で下に車輪があり、移動できるバンガローといった感じ。小さいけれど灯りや電源もあり、結構快適だった。料金は1650円と安い。 ![]() ![]() 面白いのは炊事場にガスコンロや電子レンジ、ポットやフライパン、鍋、食器などがあり自由に使えることだ。すぐ近くにはモール温泉があり、宿泊者は200円で入ることができる。 先にコンビニに行き、夕食に北海道名物のザンギ(濃いめの味付けの鶏の唐揚げ)や、北海道限定マルちゃんの焼きそば弁当(スープが付いている)などを買い、温泉に入ってくつろいだ。クリオネに戻り、テントのそばのテーブルで夕食をとっているとき、湯を沸かそうと炊事場に行って戻るとザンギの数が減っている。おかしいなと思って辺りを見ると、何と猫が美味しそうに食っているではないか!腹が立って何か投げるものがないか探しているうちに、悠々と去っていった。 しばらくすると炊事場で料理をしている男性がいたので、一緒に飲みながら話しをした。Sさんは40歳くらいの川崎出身の人だが若い頃、北海道で自転車旅をしていて気に入り、移住をしたという北海道あるある?の経歴の持ち主。地元だけれど、このキャンプ場が気に入り何度も訪れているそうだ。バイクも以前乗っていたそうで、限定解除(彼は4回で合格したのが自慢。ちなみに私は21回)や楽器(彼がボランティアでカンボジアに行ったときに買った訳の分からない楽器)の話で夜遅くまで話が盛り上がった。 <9/9(土)8日目> 斜里→越川橋梁(こしかわきょうりょう)→網走→能取(のとろ)岬→湧別(ゆうべつ) 朝起きると恒例の散歩兼、キャンプ場の探索。Sさんも言っていたがかなり広い敷地面積で、いろんな建造物があり、来るたびに新しいものが出来ているそうである。昨日入った温泉も元のオーナーのもので、昔はこのキャンプ場の中にも温泉があったそうだ。 その後、起きてきたSさんと一緒に朝食をとりながら、今回タウシュベツ川橋梁を見に行きたいと言うと、さすが地元。ここから南20kmくらいのところに道路をまたぐように越川橋梁が立っていて、タウシュベツと違って間近に見られると教えてもらい、行くことにした。その他、能取(のとろ)岬の景色が素晴らしいので是非行った方がよいとの情報もいただいた。 北海道は廃線や橋梁跡などの鉄道遺産が沢山あり、私の好きなBSのTV番組「呑み鉄本線日本旅」で六角精児がタウシュベツを訪れていたのを見て、行ってみたくなった。しかし現在は近くまではツアーを申し込まなければ行けないみたいだ。 朝食後Sさんと別れ、出発。 越川橋梁に行くと道路のすぐそばの左右に立っていて、かなりの迫力だった。北海道在住の老夫婦が車で来ていて、「凄いですねえ」と話しかけると、「元々はこの橋梁は繋がっていたのだけれど、道路を通すためにぶっ壊してしまった。本当にもったいないことをする。」と憤っていた。 ![]() ![]() 網走に着き、ナビで網走刑務所を検索すると、刑務所ともう一つ博物館網走監獄というのがあった。網走刑務所の方は1983年6月に新婚旅行で来たことがあり、そこは観光名所で門のところで写真を撮った記憶がある。しかし、現在は博物館の方がメインでそちらに行ったが、すごく大きな施設に変貌していた。入場料の1500円は高いなと思ったが中に入ると驚いた。広大な敷地に昔の網走刑務所の建物を全て移築、復元し、監獄ができたいきさつや当時の囚人たちの生活の様子が事細かに分かるように作られていた。よくぞここまで当時を再現したものだと感心した。1500円の価値は十分にあった。 ![]() ![]() 案内によるとここができたのが1983年の10月なので、新婚旅行で来たときはまだギリギリ建築中だったのだろう。1時間半ほど歩いたが、まだまだ見足りないくらいだった。 この日はとても暑く、疲れたのでキャンプはせずに布団で和室の旅館に泊まりたいと思った。休憩所で調べると網走から80kmほどの湧別という町に「しらかば」という旅館があり、素泊まりで4000円だったので予約した。 湧別に行く途中、Sさんお勧めの能取岬に立ち寄る。岬の先端までは少し歩いたが、広々とした草原と海と灯台のコントラストが素晴らしかった。 ![]() ![]() 「しらかば」はこじんまりとしたきれいな旅館で、近くにはセコマとセブンイレブンがあり、静かで落ち着ける場所だった。洗濯物が溜まっていたので洗濯機を使おうとすると、乾燥機がない。宿の主人に乾燥機を使えないかと聞くと、ボイラー室を使えばいいという。洗濯物を持ってボイラー室に入るとムッとするほど暑く、一晩で乾くというので使わせてもらった。温泉ではないが、広い浴槽でゆったりと湯につかり、浴衣を着て久々の畳と布団で気持ちよく安眠した。たまにはこういう旅のスタイルもいい。 ![]() ![]() <9/10(日)9日目> 湧別→丸瀬布(まるせっぷ)→層雲峡→タウシュベツ橋梁→糠平(ぬかひら)→層雲峡 朝起きてボイラー室を開けてもらうとジーパンを含め、洗濯物はカラっからに乾いていた。朝の散歩から帰ると、私より少し年上のチャリダーが丁度出発するところで、少し話をした。彼の旅の最初は自転車で、次にバイク、そして年を取ってから原点に戻り、再びチャリになったそうだ。「原点に戻る」という言葉がいいなと思った。「お気をつけて」と送り出す。 今日のコースは層雲峡、三国峠、タウシュベツ橋梁を見て糠平湖畔のキャンプ場で宿泊の予定である。手持ちの金が少なくなってきたので湧別の郵便局で金を下ろす。 朝から天気が悪く、出発してしばらくすると雨になった。遠軽(えんがる)を通り、丸瀬布の道の駅でコーヒーブレイクをする。この町は木材の産地で道の駅の中では様々な木を使った土産物を販売していた。店の中央にはグランドピアノが置いてあり、ヤマハのピアノの響板(きょうばん・・・弦の振動を大きく、きれいな音にする大事な板)はここで作られているそうだ。淹れたてのコーヒーが美味しかった。 雨が上がったので雨具をしまい、層雲峡を目指す。ここは山の斜面に沢山のホテルが立ち並び、いかにも観光地といった感じ。その先にある滝の見えるスポットに行くと外国人が大勢いて散歩を楽しんでいた。 昼時だが辺りには食事ができるとことがなかったので一旦層雲峡に引き返し、食堂を探した。するとバイクが沢山止まっているラーメン屋があったので坂道に注意しながらバイクを止め2階の入り口に上がると、なんと「本日完売」の札が・・・。表に出しとかんかい!! コケないようUターンして近くのセコマに行くとイートインができるというので弁当とお茶を買って遅い昼食。 その後、三国峠に行くが曇っていたため思ったより景色はぱっとしなかった。よく写真で見る赤い橋の眺望も走っているときは見えるが、立ち止まって写真を撮ることはできない。 さて待望のタウシュベツ橋梁に向かう。一つだけだと思っていたら、橋梁跡はとぎれとぎれに何カ所かあり、一番長くて見晴らしのいいのが有名になったらしい。道路脇の狭い駐車場にバイクを止め、林の中を展望台目指して行くと、最近熊が出たとの看板が。林を抜けると遙か遠くにタウシュベツ橋梁が見えたが、もっと近くでみたいものだと思った。普段この時期は一部が湖に浸かっているらしいが、今年は水が少なく完全に出ており、六角精児も言っていたがまさに古代ローマの遺跡みたいだった。他にも何カ所か橋梁跡があったが、どれも木々に隠れてほんの少し見える程度だった。 帰って10月頃「呑み鉄〜」の番組が放送されたのを見ていると、今年再び六角精児がタウシュベツ橋梁を訪れており、その映像の中に何と下の写真の「9月5日ヒグマ出没」と全く同じものが出ていた。恐らく同じころに撮影されたのであろう。 ![]() ![]() ![]() そうこうしているうちに、夕方になってきたので糠平湖畔にある国営のキャンプ場に行ってみると、経営が個人に変わっていて、荒れ果てた感じになっていた。ガイドを見たら結構いいと思ったのだが、やはり行ってみないと分からないものだ。 もう、日が暮れるのでキャンプは諦め、ダメ元で「層雲峡ホステル」(ユースホステルではないがゲストハウス的な宿)に電話すると、ドミトリー(2段ベッドで8人部屋)なら空いているというので即決して、引き返した。 ホステルに着くと駐輪場に見覚えのある赤いVFRがあった。中に入って談話室を通ると苫小牧のライハでご緒した彼がいてので挨拶した。2段ベッドを使うのは久しぶりで、登るとき結構恐くて「こりゃ、飲み過ぎたら危ないな」と思った。昼間行ったセコマで夕食を買い、シャワーを浴びて談話室で夕食。VFRの彼と飲みながら話していると、そばにいた神戸からBMWで来た60代くらいの男性が話しに加わり、バイク談義に話が弾んだ。 彼の自慢(?)は世界最短で立ちゴケしたというもの。コロナに罹り、治ったがフラフラの状態でBMWの納車の日にバイク屋に行き、跨った途端にそのまま倒れて、バイク屋から「あんたは世界最短、0mでの転倒や!」と言われたそうだ。それからは立ちゴケの話で大いに盛り上がった。 少し飲み足りなかったが、2段ベッドのことを考え、早めに就寝。少し下の方からいびきが聞こえたが、あまり気にならず、ぐっすりと眠れた。 <9/11(月)10日目>層雲峡→足寄(あしょろ)→阿寒湖→弟子屈(てしかが)→川湯温泉 起床後、昨日の二人と一緒に朝日を浴びながら気持ちよくテラスで朝食。VFRさんは朝食後、ロープウエイで黒岳に登るそうだ。BMWさんと私も後から行くことにした。 出発の用意をしてロープウエイ乗場に行き、先ずは5合目まで登る。そこからはリフトで7合目まで登り、展望台に着くと大雪山の雄大な山々が見渡され最高の景色だった。さらに山頂を目指す登山者もいる。ここ、大雪山山系は日本で一番早く紅葉が見られるということだったが、今年は異常な暑さで残念ながら見ることはできなかった。 ![]() ![]() ![]() 層雲峡に戻ると昨日通った道を再び走り、タウシュベツ以外の橋梁跡や駅の跡にも寄った。その中の一つに第5橋梁跡というのがあり、その近くの線路の一部とホームが残っている。前回の「呑み鉄本線」の番組で六角精児が、レールのポイントを動かすシーンがあって、「おお、まだちゃんと動きますねえ」と言っていたが、4,5年経っているので、錆ついていて少ししか動かなかった。 ![]() ![]() その後今日の宿、弟子屈の少し先の川湯温泉にあるライダーハウス「EZOライダー」を目指す。途中足寄のあたりで腹が減ったので「あしょろ庵」という大きなレストランを見つけて入った。ここの売りは豚丼らしいのだが既に帯広で食べたので、トンカツ定食にしたらやはり凄い量で満腹になった。ここ足寄は松山千春の出身地で、店内には彼のポスターが貼られていた。 ![]() 川湯温泉の手前に硫黄山というその名のとおり、黄色い硫黄がむき出しになって噴煙の出ている山があったので、寄ってみた。硫黄特有の臭いがあたりに漂い、凄い迫力だった。4時過ぎ川湯温泉に着くと、温泉街の入り口に「大鵬相撲記念館」という建物があったので、相撲好きの私としては見逃せないと思い、入館した。なぜこんなところに大鵬の記念館が?と思ったが、大鵬はここ弟子屈の出身なのだった。客は誰もおらず、不世出の大横綱のいろんなエピソードや取り組みのビデオなど、ゆっくりと閉館まで楽しむことができた。私が子供の頃は「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉が流行っていたことを思い出す。ちなみに当時小学生の私は、皆が好きな大鵬ではなく、そのライバルだった柏戸のファンだった。記念館のビデオは当然、優勝決定戦などで大鵬が柏戸を下す場面ばかりで、柏戸がかわいそうだった。 ![]() ![]() 記念館を出て宿のEZOライダーを探すと、近くにバイクが何台か止まっていたのですぐに分かった。バイクを止めて荷物を下ろしていたら、眼鏡をかけた若い女性が声を掛けてきて「福山から来られたんですか。私は隣の笠岡なんですよ。びっくりです!」と、こちらもびっくりした。ただの通行人かと思ったらあとでここに泊まっていることが分かった。 オーナーに案内された部屋は3人部屋で20代と40代位の男性と一緒だった。このEZOライダー(EZOハウス)は変わっていて2階が宿泊部屋。1階はバイクの整備場と談話室となぜか本格的なバーがある。また、レンタルバイクもあり、多彩な宿だ。 ![]() ![]() ![]() すぐ近くのホテルの温泉に入る。硫黄温泉で体の芯まで暖まった。コンビニで夕食とビールを買い、談話室で同部屋の2人と食べているとオーナーと女性がやって来た。女性は眼鏡を外していたので最初分からなかったが、先ほど話しかけてきた笠岡の女の子だった。よく見ると目がぱっちりとして可愛かったが、肩の下のタトゥーが気になった。彼女はチャリダーで女満別空港に届くはずの自転車が来ていなくて、途方に暮れていたところをオーナーに助けてもらったそうだ。同室の20代の若者は先程まで、自分でオフロードのバイクのオイル交換をしていたみたいで、オーナーが手際がいいと褒めていた。 オーナーが話し上手で、宴会は楽しく盛り上がった。やはり、これがライハの正しい姿だと思う。談話室の中にある、気になっていたバーだが、バーテンダーが出張バー?で札幌の方に行っていたのでやっておらず残念。ビールや日本酒など結構呑んで11頃就寝。 北海道ツーリングIに続く |